2012年02月13日
森ゼミ生のこれからを知りたい(2)-金八先生と憲法-
先ほど申し上げました、森ゼミの卒業生の何人かが、口をそろえて、金八先生の教育理念を、ゼミの印象に残る思い出として挙げていました。今、小学校教員、中学校教員の森ゼミOB・OGの方に、多いのですが。
これについては、ゼミではなく、僕が大講義を通して語ったことで、若干の誤認・誤解(?)かなあと思うのですが、それで、補足的な話をしたいと思います。
金八先生の話は、当初より現在まで(1995-2012現在)、教育制度・教育実践を日本国憲法の窓から理解することの大切さを伝えるために、たしかに取り上げています。
「子どもたちの中に、腐ったミカンのように簡単に排除していい者は、いない」という金八語録を引用して、「人権としての教育」を求める日本国憲法26条「すべて国民は、…その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」の意について、説明しているのは、事実です。 つまり、一人ひとりの人間の成長の歩みとしての発達の必要に応じる取り組みの手厚さを、わけへだてなく、ひとしく、,どの子にも行う教育実践こそ、憲法の教育理念を具体化する実践(=発達保障主義的な教育条理解釈)であると。
例えば、直近の2011年度後期講義(2012年2月現在の、職場)でも、以下のコメントが返ってきます。
「教職課程においてなぜ『日本国憲法』が必修であるのかその理由がこの授業を受講して分かりました。金八先生の教育理念に始まり、タイムリーな話題(橋下さんについて)まで、その問題の根底には必ず『憲法』があるのだと思います。憲法(旧教育基本法、教育基本法を含む)を学ぶということは、教育の理念を学ぶことであり、また教員としてのあり方・義務について明らかにするということです。現代では、明らかに教育の理念とは正反対の方向に向かっています。私はまだ教員になるかどうかは分かりませんが、教育をめぐる諸問題の背景を少しでも改善し、自由な教育が出来るような環境づくりに 参加したいと思いました。」
森ゼミでは、直接、こうした話をした記憶が、あまりありません。なぜなら、高校社会科の模擬授業研究の時間ですから。
ただ、今思うと、可能な限り、全員が納得できる模擬授業ができるように、僕自身も班学習のゼミ生同士も、模擬授業の準備が遅れて課題の残るゼミ生にも、容易に、排除せず、話し合い、支え合い、相互援助・相互批判の学風で、協働して乗り切ることを、心がけるように仕向けてきたつもりです。
大講義の言葉と、当時の森ゼミの学びが重なったのでしょうか?どうかわかりません。そのあたりを、教職についた現在、どのように捉えているのでしょうか?こうしたことを、いずれかの機会にか、森ゼミOB・OGに聞き取りしてみたいと思っています。
これについては、ゼミではなく、僕が大講義を通して語ったことで、若干の誤認・誤解(?)かなあと思うのですが、それで、補足的な話をしたいと思います。
金八先生の話は、当初より現在まで(1995-2012現在)、教育制度・教育実践を日本国憲法の窓から理解することの大切さを伝えるために、たしかに取り上げています。
「子どもたちの中に、腐ったミカンのように簡単に排除していい者は、いない」という金八語録を引用して、「人権としての教育」を求める日本国憲法26条「すべて国民は、…その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」の意について、説明しているのは、事実です。 つまり、一人ひとりの人間の成長の歩みとしての発達の必要に応じる取り組みの手厚さを、わけへだてなく、ひとしく、,どの子にも行う教育実践こそ、憲法の教育理念を具体化する実践(=発達保障主義的な教育条理解釈)であると。
例えば、直近の2011年度後期講義(2012年2月現在の、職場)でも、以下のコメントが返ってきます。
「教職課程においてなぜ『日本国憲法』が必修であるのかその理由がこの授業を受講して分かりました。金八先生の教育理念に始まり、タイムリーな話題(橋下さんについて)まで、その問題の根底には必ず『憲法』があるのだと思います。憲法(旧教育基本法、教育基本法を含む)を学ぶということは、教育の理念を学ぶことであり、また教員としてのあり方・義務について明らかにするということです。現代では、明らかに教育の理念とは正反対の方向に向かっています。私はまだ教員になるかどうかは分かりませんが、教育をめぐる諸問題の背景を少しでも改善し、自由な教育が出来るような環境づくりに 参加したいと思いました。」
森ゼミでは、直接、こうした話をした記憶が、あまりありません。なぜなら、高校社会科の模擬授業研究の時間ですから。
ただ、今思うと、可能な限り、全員が納得できる模擬授業ができるように、僕自身も班学習のゼミ生同士も、模擬授業の準備が遅れて課題の残るゼミ生にも、容易に、排除せず、話し合い、支え合い、相互援助・相互批判の学風で、協働して乗り切ることを、心がけるように仕向けてきたつもりです。
大講義の言葉と、当時の森ゼミの学びが重なったのでしょうか?どうかわかりません。そのあたりを、教職についた現在、どのように捉えているのでしょうか?こうしたことを、いずれかの機会にか、森ゼミOB・OGに聞き取りしてみたいと思っています。
Posted by みつおもりた at 15:51│Comments(1)│TrackBack(0)
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この記事へのコメント
森田先生3日ぶりですね。2週間にわたって来沖してお疲れはありませんか?とても楽しい一日でした。ぜひ次回は僕のためにいらして頂けたら幸いです!(また改めてご案内致します)
久しぶりに先生の講義に触れたような気がして懐かしく思います。
今思えば当時ゼミ生だった頃、ゼミ生皆でもがいていたあの頃のように考えることの難しさや楽しさを実感することが日々の中ではできなくなっていることが残念です。
僕は劣等性だったので人の倍は大講義もゼミも履修してきました。正直に言いますと、それだけに印象的な場面や言葉は断片的で、『森田先生との時間』というくくりの中での記憶となっているかもしれません。ただ、森ゼミでの学びは私の中に大きな存在として残っていることは確かです。うまく言えませんが、あの頃のようなガムシャラな情熱を羨ましく思う今日この頃なのです・・・。
ってこれは森田先生のブログタイトルをパクッたみたいになっていますね!?笑
でもふと当時の指導案を見返したりもして。月並みですが、とても大切な時間であったと思っています。
久しぶりに先生の講義に触れたような気がして懐かしく思います。
今思えば当時ゼミ生だった頃、ゼミ生皆でもがいていたあの頃のように考えることの難しさや楽しさを実感することが日々の中ではできなくなっていることが残念です。
僕は劣等性だったので人の倍は大講義もゼミも履修してきました。正直に言いますと、それだけに印象的な場面や言葉は断片的で、『森田先生との時間』というくくりの中での記憶となっているかもしれません。ただ、森ゼミでの学びは私の中に大きな存在として残っていることは確かです。うまく言えませんが、あの頃のようなガムシャラな情熱を羨ましく思う今日この頃なのです・・・。
ってこれは森田先生のブログタイトルをパクッたみたいになっていますね!?笑
でもふと当時の指導案を見返したりもして。月並みですが、とても大切な時間であったと思っています。
Posted by 伊禮 喜輝 at 2012年02月22日 18:13

